今時の内職事情!?

 引きこもり拠点計画、言い出してから数年後の今になって動き出しましたw
我ながらの牛歩振りに苦笑しながらも、「引きこもり生活はライフワーク」であることも再認識しました。
前回のエントリでも触れた、在宅勤務の先祖ともいえる勤務形態の内職。
現在はどういう状況なのか、ググってみましょう。
昭和の時代と違って、田舎でのマイカーも普及して、製造業も海外へ移管していった現在は衰退していると思っていましたが、予想通り。そもそも、こんな田舎でも昭和の時代は、電機部品や衣料品の下請け工場があったのに、’90年代辺りに次々と閉鎖されました。
田舎の製造業下請け業者は、現在では派遣や業務請負の形になって、企業の生産拠点で就業する形になりました。
めんどくさいのでw、結論を言いますと製造業の内職は稼げません。食っていけるほどの収入は得られません。
それ以前に、案件自体もありません。今、内職に相当する、自宅でできる単純作業といえば、クラウドソーシングの「タスク」作業ですが、勿論激安賃金でゲームをやるよりは前向きな暇つぶし、といった程度です。
自分でも悲しくなるほど残念な現状ですが、せめて通勤のストレスを避けていく体制を作って、しっかり貯蓄して、消費は効率を最優先していくことが今を生きていくためには必要なことなのだと思います。

伝説の漫画作品、「明日は日曜日そしてまた明後日も……」

 藤子不二雄Aがあの「COM」誌に発表した、ニートやひきこもり(従来型)の言葉すらなかった頃(1971年)に発表されたこの作品。
「ひきこもり」時代の到来を日本が元気だった頃から予言した作品として脚光を浴びています。
過保護過干渉な親によって、自立性が育まれないまま年齢が到来してしてしまった田宮坊一郎君。
このブログでの紹介なら、当然彼を「新世代引きこもり」に進化させることが出来ないか、という妄想企画が成立しますw
早速、妄想してみましょう。
まずは、成功するという仮定。
1970年代の当時は、ITはせいぜい「計算機」程度で通信系はせいぜい電電公社(死語)の電話程度。
でも、当時日本の製造業が活発で「内職」という在宅勤務の先祖のような働き方も盛んだったので、母親と一緒に内職すれば、自宅で自立した暮らしをすることが出来るようになることが期待できる。
作業自体も普通の自宅でできる、今ほど高度じゃないものだから、そんなに難しい内容じゃないしね。その分数をこなさないといけないでしょ、と言う意見には、むしろ特定の一定した作業を集中して行わせることに彼は向いていると思うよ、と返しましょう。
勿論、ITの発達した現代なら、別の分野でも彼を活躍させる舞台は用意しやすいはずです。
次は、不可能。やっぱ無理、という仮定。
内職・在宅勤務といっても、過保護な親じゃ、仕事の教え方が下手すぎて彼の自立を阻害しそうな気がするw 内職を担当する会社の人間に任せても、当時の精神論至上主義的な思想に染まった連中じゃ、殆どパワハラ的な教え方で彼を発狂させてしまうかも知れないし。
それから、教える段階で失敗したら、恐らく再起不能でしょ。
ITが発達した現代でも、むしろマメにメールやメッセージングでのやりとりが必要だから、自立心のない彼にそれが出来るのだろうか。
何かの弾みで、SNSや某巨大掲示板でおなじみの「心ない発言」を目にしたら、それこそ「ネオむぎ茶」化しないか。
一番いいのは、ドラえもんのタイムマシンを使って彼を現世へ連れてくることなのでしょうが、それだと結局は「不可能」ということになるわけですよねorz
 

うちの田舎でもコンパクトシティ化の流れが来るのか?

 おはようございます。
遂に、過疎化が進む状況となってきました。
まず、選挙時の投票所が現在の12箇所から6箇所に減少。コミュニティバスの「オンデマンド」化。
他にも駅前には住宅地を誘致するけど、駅から離れたところは前記のような縮小化を進めていくようです。
こんな田舎にも、ちょっとした大手企業の活動拠点がありますが、その割には周囲にコンビニが出来るわけでもなく(通勤される方々は、出発前に弁当などの準備をするよね)生活拠点としての機能は衰退の一途かも知れません。
自動車の維持費は馬鹿にならないし、厳しい自然環境故光熱費は嵩むしで、益々引きこもり拠点は別の地域で獲得する必要性が高まっています。
時間がかかっても、「本気になる」ことだけでも忘れないようにしなければなりません。